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制作秘話 93

《其の九十三》

私がかぐや姫の罪と罰を、どう考えているか、について論じたいと思います。

アニメ映画で表現されていることを、、否定したり論争をふっかけたいわけではけっしてなく、単に、私はこう考えて「蒼き月のかぐや姫」を書きました、いうことです。自分が絶対に正しいとは思っていません。

あとがきにも書きましたが、竹取物語の目的は寓話として仏教の精神を伝えることで、嘘ついてはだめとかお金さえ出せばいいいってもんじゃないとか、わかりやすいのもあるけど、その中でもっともわかりにくいが一番たいせつなのが「愛は執着である」ということ。

愛に対して否定的なのです。

このことに着目し、「かぐや姫が月で犯した罪とは、人を愛してしまったこと」という説がありまして、私はこの説に賛成するのです。

この説では、愛した結果かぐや姫は地上に降ろされ、みっともない見苦しい偽物の愛に振り回されるという罰を与えられました。地上にある愛という執着の感情は汚れているのです。
愛という執着ゆえに、嘘ついたり、お金と愛を勘違いしたり。

五人の貴公子は、四人までもがあからさまに、嘘やお金を積むことでかぐや姫を自分のきれいなアクセサリーにしようとしていたけど、それは「もの」への執着でしかありません。かぐや姫を心を持つ人とは思ってないのです。
なのでかぐや姫は、せめて誠実であろうとした五人目の中納言にだけは、「やりすぎたかも」と反省しています。


かぐや姫を愛したのは、翁と帝も同じです。

翁は俗物で、すぐ調子に乗って、偉い人からちやほやされると「それが姫の幸せのため」と論点をすり替えて言っています。
本人にも自覚がないのです、自分の幸せのために姫を出汁にしていることが。

しかし姫は、無自覚な翁を許してしまっています。
そんなこと(求婚や出仕)を勝手に引き受けてきていやだ、と言いつつ、翁自身を拒否して恨んだり憎んだりはしていません。
月に帰るときも「親不孝でごめんなさい」と泣いています。

親孝行は仏教の精神の一つなので、否定できないからだと思うのですが。
だめな親でも、自分を世に作り出した絶対的な存在として、否定はできません。
そんなこと言い出したら、世界そのものが否定されてしまいかねないからです。


帝に対する姫の態度が、実は一番解釈が分かれているようです。

帝という絶対権力者にさえ執着されてどうにも逃げられない(抵抗すると地上の罪になる)という罰、というとらえる説もあるけど、私はもっと残酷な罰なのだと理解しています。

姫は帝と文通するうちに、帝が本当に自分を愛していると知って、心惹かれてしまうのですから。

しかし、惹かれかけたところで、月からのお迎えが決定します。
姫は記憶や感情を失って、永遠に月へ帰らなければならないのです。
つまり死ぬのと同じ、かぐや姫への罰とは、残酷な心の死刑なのですね。

愛する人ができたのに、それを絶対的に否定された罰を与えられ、愛を完全に奪われる。
これほどの罰があるでしょうか、地上の価値観としては。

月の世界では当たり前のことだとしても。


つまり「人を愛した」罪に与えられた罰とは、また誰かを愛しふたたび引き裂かれる、という残酷なものでした。月でも愛した人とは引き裂かれていただろうに。
記憶を奪われて、地上へ送られ、同じことを繰り返させられるのです。

愛の愚かさも味わわされたあげくに。


仏教では罪を繰り返して何度も転生することからの解脱を目指します。姫も繰り返しから解脱させられます。

罪が許されるとは、つまり解脱なのですが、地上の価値観では愛から解脱というのは、とんでもなくつらい究極の罰に思え、地上の価値観を持ってしまったときにそんなことをされたら、けっきょく最大の罰でしょう。
解脱とは本来は理想であり、喜びのはずなのに。

竹取物語の作者は、本気でこの解脱が「いいことですよ」と書きたかったのかどうか、私にはわからないし、平安時代に読んだ紫式部や清少納言は、また違う感想を持ったかもしれませんね。

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