《其の九十》
今回は、小説の書き方ではなく、なり方。 本当にたくさんの「小説家になりたいのですが、どうしたらいいですか」というお手紙やメッセージをいただきます。
それで、私がまず伺いたいのが「小説の書き方」を知りたいのか、「小説家への就活のやり方」を知りたいのか、ということになります。
いままで、「小説の書き方」をさんざん書いてきたわけですが、「就活のやり方」ってのは、あんまり書いてなかったかなあと、思いまして。
これは何度か書いたと思いますが「新人賞へ応募してください」。 応募するためには、「物語の最後まで書ききりましょう」ですね。これが大原則です。
しかし。 「小説家になるにはどうしたらいいですか」とおっしゃるかたがお知りになりたいのは、これではないような気がいたします。
もしかして「どんな学校へ行ったらいいですか?」ではありませんか??? あるいは「どんな勉強をしたらいいですか?」
以下はあくまでも、私の経験から発した個人的な意見ですので、参考にならないかもしれません。 それでもよろしければ、お読みくださいませ。
結論から言ってしまえば「どんな学校でもいいです」。 小説家になるための学校というのは、ありません。
「専門学校があるよね?」と思われるでしょう。 そこは「小説を書く基本的な技術を教える学校」でして、「小説家になれる学校」ではありません。 それだけはどうか、思い違いの無きように。 大学や短大にも「文学部」「創作科」があると思いますが、同じことです。
むしろ文学じゃない勉強をした方が、ネタになっていいかもしれません。私はそうしました。
私からのアドバイスはいくつかありますが、まずは、「中学や高校の先生に進路相談しても無駄」です。
学校の先生と小説家は全くなり方が違います。 よっぽど身近に小説家がいるか、一度小説家を目指してかなり惜しいところまでいってあきらめた、というケースでないかぎり、仕事の実態や収入もわからないでしょう。
なり方が違う、というのは、「大学で専門的な勉強をして、国家資格を取るあるいは国家試験を受けて、採用試験を受ける」となれるという確実なルートが、小説家にはいっさいありませんから。 学校の先生やお医者さんや弁護士さんは、そうやってなるものですが、小説家には資格なんかないですから。
なりたいかたは、周囲の大人をあてにせず、ご自分で調べてください。 プロの小説家か編集者以外の誰かに「どうしたらいいですか」と尋ねても、正しい答えは出てこない、ということに気がつきましょう。 気がつかなければそこでもうあなたは、後れを取ってしまっています。
小説家は、「想像力」「正確なことを書くための調査能力」が最大の武器となる仕事です。 自分の脳みそひとつで、たくさんのキャラの人生を作り出すのですから、本当にありとあらゆるいろんなことを、自分一人で考えられなくてはなりません。
次に「小説家になるための試験」は「新人賞に応募する」ことです。 他にもルートが無いわけではありませんが、新人賞よりももっともっと可能性は小さくなりますし、そういうルートを通る人は、新人賞に応募しても合格するだけの能力があると言えるでしょう。
この合格率がどのくらいか、ちょっとネットで調べたらけっこうわかることなのですが、ここで一般的なことを書いておくと。 まず、一次選考を突破できるのは、10人に1人くらい、というのが基準です。応募が多いともっと少なくなります。 次に二次選考でさらに半分以上から八割方が落とされます。
この時点で、かなりの数の大学入試よりも合格率が低いのではないでしょうか? 三次・最終とまだ振り落としは続くのです。
「どんな勉強をしたらいいか」をぶっちゃけてしまうと、一次選考を通る技術は、お金で買えます。 「小説の書き方」という本を何冊か買えば、お安く済みます。お金をかけたければ専門学校もよいでしょう。
しかし、お金で買えるのも、他人から教われるのも、そこまでです。せいぜい二次選考までかな。
「どんな勉強をすればいいか」と思う時点で、おそらくあなたが思い浮かべていること、そして私がこの場所でずっと書いている「小説の書き方」は、ここの部分だけです。 これでは勉強が足らないのです。
しなければならない勉強は「人生勉強」です。「人生経験」。 でもそれだと、お年寄りが有利になってしまいますよね?
若いほどあって、年取るとなくなってゆくものがあるので、お年寄りが有利ということは、そんなでもないのです。
それは「感性」です。
「感性」をとぎすませるのが、勉強ということになります。 やり方は一人ひとりに合った方法があるので、というか一人ずつ全然違うので、私のやり方をあなたに伝えるのは、意味がありません。
最終選考の合格のしかた、は自分一人で、自分の中に見つけるしかないのです。見つけた人だけが、合格できます。
これだけだと、意地悪っぽいので、ひとつくらい、ヒントを(笑)
新人賞の審査をしている知り合い複数によると、ラノベではそのときヒットしている作品の真似、児童文学だと、そのとき話題になっている社会現象のネタ、がやたらといっぱい、応募作品にはあるんだそうです。
それは真っ先に落とされます。
だって、流行のものなんて、来年はもう、時代遅れになってて売れませんからね(笑) 私こそがまだだれも見たことの無いようなトレンドを作り出すんだ、という気概のある作品が、審査を通過するのです。
新人賞という試験を突破したとして、そこはゴールではなくスタートです。「生き残りレース」という死ぬまで続くレースの。 これは実は世間で言われているほどは、過酷ではないかもしれません……私個人の経験からすれば。
ただし、終わりがないのです。5年、10年、と時間が経っても安定せずに、振り落とされ続けてゆく世界です。
一度学校の先生やお医者さんになったら、よっぽどの不祥事を起こさないかぎり、そうそう振り落とされるものではないと思います。 すくなくとも10年後の生き残り率2割とか、そういうことはないでしょうね。
なったあとも、続けていくのが大変、この事実も、ぜひともお忘れ無きようにお願いいたします。 私自身、本当に必死でやっております。マジです。なんでなっちまったんだろう、今さら他の仕事にはつけないし……。
ところで皆さま、なぜ、出版社は新人賞を催しているのだと思われますか? ぶっちゃけてしまうと、「うちの出版社ひいては業界全体を儲けさせてくれる人」を探すためです。 出版は文化芸術活動ではありますが、それ以前に経済活動です。
けっして「あなたのすごい芸術作品を後世に残すため」ではない、この本音というか真実というか事実も、お心に留めておいてほしいのです。
ですので「この傑作たった一冊を世に問うため」に「小説家になる」のは、ちょっと違っています。 「小説家」は「仕事」「職業」のひとつです。 「小説家」は「何作も何作も書きたい、何作でも書ける」自信や覚悟のあるかたに向いている「仕事」なのです。
最後にこれは蛇足なのですが、「人と関わるのが苦手なので、会社とか組織に勤めなくても自宅でできるから」小説家になりたい、というのもちょっと違います。
あなたはそうでも、読者の多くのかたが「人と関わるのが好き、ひとりぼっちは寂しいからイヤだ」と思って生きているのです。
だから小説に求めるのも「人と人の関わりのいいところ・すごいところ・感動的なところ」です。
そこがよくわかってない内容だと、売れません。 売れなければプロ……商業小説家を続けることはできません。出版社から断られます。
人付き合いが苦手なのを、無理して他人と仲良くなれとは申しません。私だって得意ではありませんので。 しかし、そこを想像力で補うことができる、その自信がないと、小説家にたどりつくのは難しいでしょう。
あなたは「心の底からプロの商業小説家」になりたいのですか?
小説が書きたい、書けたらだれかに読んでもらい、感動してもらいたい、と思っているだけで、よくよくつきつめてみたら「小説の印税で生活しよう」と思っているわけではない、のではないですか??
ああ、そうか、と思ったら、今はインターネットという発表の場があるのですから、そちらでお試しになることをお勧めいたします。 生き残るためにあがき続けている泡沫商業作家からの本音のアドバイスです(苦笑)
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