《其の七十》
物語の原動力、ということについて最近考えています。 キャラが行動する原動力であり、書き進む原動力であり、ページをめくらせ読ませてしまう原動力。
たぶん、全部同じものなのではないか、と思うんですよ。
何度かここで書いてますが、「物語とは葛藤の解決過程」です。 主人公は「望まない状態」を「望んだ状態」に変えるために行動します。これが基本形。
なので主人公には「望んだ状態」の姿が、具体的に見えていた方がいいですよね。 でないと進むべき方向に迷って途方に暮れ、やーめた、となってしまう(笑)
途中で邪魔が入っても絶望しても、目標がはっきり見えていて、どうしてもそこにたどり着きたいと強く思えば、また立ち上がって進むことができます。
なので「望んだ状態」の姿、は明確に設定しておくべきだよな、と思うわけです。 それが、どうしても主人公にとって手に入れたい状態である理由、これもしっかりさせておかないとなりません。
この「望んだ状態」が主人公の幸せであってもそれはかまいません。 しかし、私はわりとこれを、「自分はともかくとして、たいせつな人が幸せであってほしい」に設定して物語を作るとやりやすいですね。
自分のためではなく、たいせつな人のためにがんばって行動する主人公、それは主人公に限らず、キャラの多くが互いのために行動するのです。
自分のためなら途中でやめることもできますけど、それをしないと大切な人がどうしても困るんだとか、幸せになれないとしたら、投げ出さずに主人公がけっこう動いてくれるんです。
物語を進ませる原動力は、ゴールを目指さなくてはならない強くてはっきりとした理由なのです。 それがしっかりと見えていればいるほど、最後まで書きやすくなるんですよね、私の場合は。
途中のルートが決まってなくて、思い掛けない方向へ転がっても、ゴール=物語の最終形態だけはきちんと決めておいて、なぜそれをキャラたちが目指すのかも一貫していて見失わなければ、書き上げるのに悩むことはないです。
「小説を書きたくて、初めの所は思いつくけど、最後まで書けない」とおっしゃるかた、とにかくゴールの形とどうしてそうなりたいのかだけは決めてみませんか?
ゴールは、とらわれた姫を救い出すでも、真犯人を暴くでも、彼と両思いになるでも、何でもいいのです。 わりとこのゴールは、言われたら「あ、そうか」と考えつくかもしれませんね。
しかし「なぜ主人公は、そのゴールをどうしても目指したいか」は見失いがちなので、ゴールとセットで必ず決めておくのがお勧めです。私もやってます。
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